自転車のルールが変わる今、僕たちが考えるべき「走る場所」の本質
こんにちは、ヒロヤスです。大阪の街を今日も自転車で駆け抜けているアラフォー、デザイナーの僕です。
僕のブログをいつも読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
さて、今回は少し真面目な、でも僕たちサイクリストにとっては避けては通れない「法律の改正」と「道路の現状」についてお伝えしたいと思います。
デザイナーという職業柄、僕はモノの形や色だけではなく、そのモノが置かれる「環境」や「文脈」との調和を常に考えてしまいます。
クロモリフレームの細いラインが都会の無機質なビル群に溶け込む美しさも、実は安全で快適な道があってこそ、その機能美が真に映えるものです。
最近、自転車に関する交通ルールの厳罰化や改正のニュースを耳にすることが増えましたよね。
スマートフォンの操作や酒気帯び運転への罰則強化に加え、「歩道走行の禁止」がより厳格に謳われるようになり、僕たち自転車乗りはこれまで以上に「車道」というフィールドを強く意識せざるを得なくなっています。
でも、実際に大阪のような交通量の多い大都市の車道を毎日走っていると、法律が求める理想と、目の前にある道路の現実との間にある大きなギャップに、日々戸惑いを感じることも少なくありません。
変わるルールと、変わらない道路の現状
自転車は道路交通法において「軽車両」に分類されます。だから車道を走るのが原則。
このルール自体は、ロードバイクやグラベルロードなどのスポーツバイクを嗜む僕たちにとっては、至極当然のこととして身体に染み付いています。
むしろ、歩行者に常に気を配りながら歩道を徐行し続けるよりも、車道をスムーズに流れるほうが自転車本来の機動性や爽快感を存分に活かせますからね。
しかし、ここで僕たちの前に立ちはだかる大きな壁が、慢性的な「路上駐車」の問題です。
改正された法律を遵守しようと、緊張感を持って車道の左端を走っていても、突如として目の前に大きな配送トラックや乗用車が止まっている。
それが行く手を完全に塞いでいる場合、僕たちは後方の状況を確認し、車の流れが速い中央寄りへと大きく膨らまなければなりません。
この、駐車車両を追い越す瞬間こそが、実は公道において一番神経を研ぎ澄まさなければならない、最もリスクの高い場面だったりします。
「ルールを厳格に守って車道を走れ」という言葉は、法治国家として正論ではありますが、そのためのインフラ、つまり「自転車が安心して継続的に直進できるスペース」が路上駐車によって物理的に断絶されている現状をどうにかしてほしい、というのが現場を走る僕の本音です。
僕たち自転車乗りがどれだけ高い安全意識を持っても、道路というパブリックなデザインが機能不全を起こしていれば、どこかで無理が生じてしまうのです。
義務化は見送られても、自分の身を守るのは自分という意識
ルールが厳格化され、車道走行が当たり前の文化へとシフトしていく中で、僕がデザイナーとしても一人のユーザーとしても重要視しているのが「ヘルメット」の存在です。
現在、全年齢を対象とした自転車利用者のヘルメット着用は、法律上では「努力義務」に留まっており、罰則を伴う完全な義務化には至っていません。
そのためか、街中を見渡してもカジュアルな服装でクロスバイクやミニベロに乗る人たちの多くは、まだノーヘルメットで風を切っているのが現状です。
でも、これだけ「車道走行」が強調される時代において、ヘルメットが持つ意味と重要性は、これまでの比ではないほど高まっていると僕は確信しています。
車道に出るということは、重量が数トンもあり、時速40kmや50kmで移動する鉄の塊と同じ空間をダイレクトに共有するということです。
前述したように路上駐車を避けるために車線の中央へ寄る際、背後から音もなく迫るハイブリッド車や大型バスの存在は、常に致命的な事故のリスクを孕んでいます。
もし万が一、路面のギャップに足を取られてバランスを崩したり、車両と接触したりしたとき、剥き出しの僕たちの身体を守ってくれる最後の砦は、頭部を覆うたった数百グラムのポリカーボネートと発泡スチロールだけなんです。
「義務ではないから被らない」という選択も個人の自由かもしれません。
しかし、プロダクトの「安全性という機能」をデザインの観点から考えたとき、ヘルメットはもはや単なるアクセサリーではなく、車道を走るための必須不可欠な「保安部品」だと言えるのではないでしょうか。
最近では、クロモリバイクのクラシックな佇まいを邪魔しない、帽子のようなシルエットの製品や、洗練されたマットカラーのモデルも増えています。
ルールで強制されるから渋々被るのではなく、自分というかけがえのない存在を守るために、自らの意志で最高のギアを選ぶ。
そんな成熟したサイクリストのスタイルが、これからの日本のスタンダードになってほしいと願っています。
歴史から紐解く、日本の道路と自転車の在り方
少し広い視点に立って、なぜ日本の道路がこれほどまでに自転車にとって走りづらいのか、その歴史的背景を紐解いてみましょう。
戦後、日本の都市開発は驚異的なスピードで進みましたが、それは同時に「モータリゼーション(自動車化)」への過度な適応でもありました。
1970年代、交通事故の死者数が急増し「交通戦争」と呼ばれた時代、本来は車道を走るべき自転車を歩行者から守る、あるいは車の流れを妨げないための「緊急避難的」な措置として、自転車の歩道走行が認められるようになりました。
これが、世界でも類を見ない日本の特殊な自転車環境の始まりです。
当時は安全を確保するための苦肉の策だったわけですが、その例外的な運用が数十年も続いてしまったことで、いつの間にか社会全体の中に「自転車は歩道を走るものだ」という、法律とは矛盾した共通認識が根深く定着してしまいました。
一方、世界に目を向けると、自転車文化が根付いているオランダのアムステルダムなどは、1970年代に起きた市民運動を経て、街の設計思想を「車中心」から「人間と自転車中心」へと大きく転換させました。
車道を狭めてでも自転車専用レーンを確保し、物理的に路上駐車ができないような構造にする。
今の日本の法改正は、いわば数十年かけて歪んでしまった構造を「本来のあるべき姿」に無理やり戻そうとする、激しい痛みを伴う過渡期にあるのだと感じます。
単に罰則を強化して個人のマナーに責任を押し付けるだけでなく、この歴史的に積み重なってきた「車優先」という都市デザインそのものを、時代に合わせて再定義する時期に来ているのではないでしょうか。
まとめ:これからの「自転車の居場所」について
さて、今回は新しくなる法律の波と、日本の道路が抱える構造的な問題、そして自衛手段としてのヘルメットの重要性について、僕なりの視点でお伝えしてきました。
ルールを守り、正しく道路を利用することは社会の一員として大前提です。
しかし、それと同時に、僕たちは「もっと安全に、もっと心地よく走れる環境」を求めて声を上げ続けていくことも大切だと思っています。
路上駐車の問題は、決して自転車乗りだけの不満ではなく、物流の効率や歩行者の安全、ひいては都市そのもののデザインがどれだけ洗練されているかを測る指標でもあります。
僕たちがヘルメットを正しく着用し、凛とした姿で車道を走ることで、ドライバーの方々にも「自転車は共に道路を共有するパートナーである」という認識を広めていく。
そして同時に行政に対しては、ルールだけを押し付けるのではなく、そのルールを物理的に守ることができるインフラの整備、特に路上駐車の厳格な取締りや自転車専用通行帯の拡充を求めていく。
こうしたソフト面(意識)とハード面(環境)の両輪がしっかりと噛み合って初めて、本当の意味で誰もが笑顔で走れる「豊かな自転車社会」が実現するはずです。
僕も大阪の街を走る一人のサイクリストとして、周りへの謙虚な気持ちを忘れず、それでいて自分の居場所をしっかり確保する毅然とした態度で、これからもハンドルを握り続けたいと思います。
皆さんは、今回の法改正や、日々の路上駐車との付き合い方、そしてヘルメットへの意識について、どんな風に考えていらっしゃいますか?
「自分の街ではこんな工夫がされている」「路上駐車でこんなに困っている」といった、現場のリアルな声をぜひコメント欄で聞かせてください。
それでは、また次の記事で会いましょう!ヒロヤスでした!


