親父が「Steel Era」に乗る日。受け継がれるクロモリ愛と、世代を超えた自転車の物語。

こんにちは、ヒロヤスです。大阪でデザイナーとして働きながら、日々の通勤や休日のライドを楽しんでいます。僕が愛してやまないのは、クロモリフレームの自転車。その乗り心地や佇まいに魅了され、すっかりその虜になってしまいました。街で魅力的な自転車を見かけると、ついつい立ち止まってしまいます。このブログでは、そんな僕の自転車愛を、皆さんと共有できたらと思っています。
先日のこと。実家に帰省した際、親父から突然、こんな報告を受けました。
「新しいチャリ、作ったで。」
うちの親父は今年で65歳。昔から、クロモリの自転車が好きで、僕が若い頃にも、良い感じのロードバイクに乗っていました。最近は少しご無沙汰だったようですが、やはり鉄のフレームの魅力は忘れられなかったようです。そんな親父が、なんだか嬉しそうに、でも少し照れくさそうに言うんです。
「お前も色々クロモリ乗っとるやろ?あれ見てたら、やっぱりワシも乗りたなってしもてな。ええの見つけたで!」
そう言って、親父が見せてくれた写真に、僕は息を飲みました。
そこに写っていたのは、紛れもなく**「Steel Era」**という名の、美しいクロモリフレームの自転車でした。
- 親父が選んだ「Steel Era」という物語:クロモリ好きの原点回帰
- 息子が語る、親父の自転車と僕の自転車:対照的な2台のクロモリ
- クロモリが繋ぐ、親父と息子の自転車の絆:深まる会話と新たな思い出
- 新たなクロモリ愛の始まり:モノを大切にする心を受け継いで
- 「Steel Era」と僕らの未来:カスタムと修理で紡ぐ、終わりのない物語
- クロモリの「重み」が教えてくれた、モノの価値
- 「Steel Era」が教えてくれた、僕のクロモリ愛の原点
- 終わりのないクロモリの旅:親父と僕の物語
- 自転車の先に広がる、僕たちの新しい世界
- 「Steel Era」という、新しい時代の始まり
- 最後に、クロモリの持つ「温かさ」について。
- 「Steel Era」と共に歩む、親父の新しい人生
- 親父の「Steel Era」、僕の「Crust Evasion」、そしてクロモリの未来
親父が選んだ「Steel Era」という物語:クロモリ好きの原点回帰
「Steel Era」。直訳すれば「鉄の時代」。それは、カーボンやアルミが台頭する前の、自転車の黄金期を指す言葉です。
その名の通り、親父が選んだのは、細身でクラシックなホリゾンタルフレームに、美しいメッキのフォーク。そこに、最新のコンポーネントが組み込まれた、まさに**「温故知新」**を体現したような一台でした。
「前から、お前が色々クロモリ乗っとるの見てて、やっぱり鉄のフレームはええなぁ思てたんや。それで、色々探してみたら、この『Steel Era』っちゅうのが目に留まってな。昔乗っとったクロモリみたいに、細身できれいやろ?乗ってみたら、やっぱりええ感じや。」
親父の言葉を聞いて、僕はなんだか胸が熱くなりました。親父もやはりクロモリの魅力がわかっているんだ、と。昔から鉄のフレームが好きだった親父が、また新しいクロモリの相棒を見つけたことが、心から喜ばしいことでした。
なぜ僕たちクロモリ好きが、また鉄のフレームに戻ってくるのか?それは、単なる軽さや速さではない、**「素材そのものの持つ魅力」「長く使える道具としての安心感」**に他なりません。そして、乗れば乗るほど味が出る、そんな魅力がクロモリにはあるのです。
親父もきっと、若い頃に乗っていたクロモリの感触を覚えていて、またあの頃の良い感覚を味わいたくなったのでしょう。最新の技術もいいけれど、やはり原点回帰というか、鉄のフレームの持つ、本物の魅力に惹かれたのだと思います。
親父は昔、町工場で旋盤工として働いていました。鉄を削り、磨き、一つの部品を作り上げていく。そんな仕事をしてきた親父だからこそ、無機質な素材である「鉄」が、どんなに温かみのある表情を見せるかを知っています。
「この溶接のとこ見てみ。よう溶け込んでるやろ?職人技やで。」
親父はそう言って、フレームの接合部を指でなぞりました。美しいラグレスの溶接跡。それは、親父がかつて手掛けていた仕事に通じるものがあったのかもしれません。大量生産品にはない、作り手の顔が見える「モノ」としての魅力。親父が「Steel Era」を選んだのは、そんな職人気質がそうさせたのかもしれません。
息子が語る、親父の自転車と僕の自転車:対照的な2台のクロモリ
親父が買った「Steel Era」と、僕のCrust Evasionのクロモリバイク。ブランドも、コンセプトも、見た目も全く違います。
親父の「Steel Era」は、洗練されたデザインで、街乗りから軽めのツーリングまで、優雅にこなせる優等生。まるで、老舗のテーラーで作られたスーツのように、品があります。昔ながらのロードバイクのスタイルを踏襲しつつ、現代的なエッセンスも加わっている感じですね。
一方、僕のCrust Evasionは、もっと無骨で、泥臭い感じ。キャリアやバッグを取り付けて、どこへでも行けるような、まるでワークウェアのような実用性があります。こちらは、色々な道を走破できるタフさが魅力です。
でも、どちらの自転車も、**「クロモリ」**という共通のDNAを持っています。
- どちらも、一生モノの道具として、本当に頼りになる。
- どちらも、流行に左右されない、良いものは良いという普遍的な美しさがある。
- どちらも、乗れば乗るほど、愛着が湧いてくるのです。
僕は、親父が乗る「Steel Era」を見て、改めてクロモリ自転車の奥深さを感じました。昔ながらのスタイルの中に、親父のこだわりや、長年の経験からくる選び方が見え隠れするような気がします。本当に、人それぞれ、クロモリの楽しみ方があるのだと改めて思いました。
僕のCrust Evasionが、様々な道を冒険するための道具である一方、親父の「Steel Era」は、人生を楽しむための道具という側面が強いのかもしれません。それは、僕が今、30代後半になって、少しずつ感じ始めている価値観でもあります。スピードや距離を追い求めるのではなく、もっと身近な景色を楽しみ、日々の暮らしを豊かにしてくれる。そんな自転車の楽しみ方を、親父から教わっているような気がします。
クロモリが繋ぐ、親父と息子の自転車の絆:深まる会話と新たな思い出
それからというもの、僕と親父の会話は、自転車の話題で持ちきりです。
「この前な、新しいサドルに替えてん。昔乗っとったのに近いやつ探してみたんや。」
「この『Steel Era』、フレームの感じが、昔乗ってたのによう似てるんや。やっぱり、こういう細身のフレームが好きやなぁ。」
昔からクロモリ好きだった親父と、こうしてまた自転車の話で盛り上がれるなんて、本当に嬉しい限りです。
先日、実家に帰った時、親父と一緒に「Steel Era」と僕のCrust Evasionを並べて、近所のサイクリングロードを走りました。二人でゆっくりとペダルを漕ぎながら、昔親父がどんなクロモリに乗っていたのか、どんなところを走っていたのか、色々と話してくれました。
「昔はなぁ、この辺りの道も、もっと砂利道が多かったんやで。それでも、鉄のチャリやったら安心して走れたんや。」
親父の昔話を聞きながら一緒に走る。そんな時間が、僕にとって、何よりもかけがえのない宝物です。
帰り道、親父が少しだけ立ち止まり、自転車のフレームを指差しました。
「見てみぃ、。もう、小さい傷ついとるわ。」
その傷は、親父が自転車を駐輪する際に、コンクリートの壁に擦ってしまった跡だそう。僕が「大丈夫か?」と聞くと、親父はにこやかに答えました。
「ええんや、ええんや。これもまた、味やで。」
その言葉を聞いて、僕は、僕がクロモリに感じる「ヤレ感」や「パティーナ」の魅力を、親父も同じように感じているんだ、と確信しました。
クロモリ自転車は、ただの移動手段ではありません。それは、僕たちのような昔から自転車好きの心を繋ぐ、特別な力があるのだと思います。親父の新しい「Steel Era」は、僕たちにとって、また新しい共通の話題と、一緒に楽しめる時間を与えてくれました。
新たなクロモリ愛の始まり:モノを大切にする心を受け継いで
親父が「Steel Era」を買ったことで、僕たちの間には、新しい共通の話題と、新しい思い出が生まれました。
そして同時に、僕は、親父から**「モノを大切にする心」**を改めて教わったような気がします。
親父は、僕が小さい頃から、どんなモノでも大切に使う人でした。壊れた家電を自分で修理したり、古くなった家具にペンキを塗って新しい命を吹き込んだり。使い捨てが当たり前の現代に生きる僕とは、全く違う価値観を持っていました。
クロモリ自転車は、まさにそんな親父の価値観を体現したような存在です。頑丈で、修理可能で、長く使える。そして、経年変化によって、さらに愛着が湧いてくる。
親父が「Steel Era」に乗る姿を見て、僕は、僕がクロモリ自転車に惹かれるのは、親父から受け継いだ、この「モノを大切にする心」が大きく影響しているのかもしれない、と思いました。
僕が今、Crust Evasionをカスタムしたり、メンテナンスしたりするのが好きなのも、親父が昔、道具箱を広げて色々なものを修理していた姿を見ていたからかもしれません。
クロモリ自転車は、単なる乗り物ではありません。それは、僕たちおっさんの心に、**「モノを愛でる喜び」や「人生を豊かにしてくれる時間」を与えてくれます。そして、時には、世代を超えて、大切な人との「絆」**を繋いでくれる、そんな特別な存在なんだと、親父の「Steel Era」を見て、改めて感じました。
「Steel Era」と僕らの未来:カスタムと修理で紡ぐ、終わりのない物語
親父が「Steel Era」を手に入れてからというもの、僕たちの間には、新しい楽しみが生まれました。それは、**「カスタム」と「修理」**です。
親父は、僕がカスタムしているのを見て、「こういうこともできるんか!」と目を輝かせています。
「ヒロヤス、今度な、このサドル、もっとええやつに替えようと思うんや。お前、詳しいんやろ?どれがええか、教えてくれへんか?」
親父は、もう既に次のカスタムを考えているようです。そして、僕もまた、親父の自転車のカスタムについて、あれこれと考えるのが楽しくて仕方がありません。
例えば、ブルックスの革サドルに替えて、さらにクラシックな雰囲気を高める。タイヤを少し太めのものに替えて、乗り心地をさらに良くする。ハンドルをブルホーンバーに替えて、少しスポーティーな印象にするなど、想像するだけでワクワクします。
親父の自転車が、少しずつ、親父だけの「Steel Era」になっていく。その過程を見ているのが、僕にとっての大きな喜びです。
そして、この「Steel Era」は、親父が乗り続ける限り、ずっと僕たちの傍にいてくれます。たとえ、フレームに傷がついても、パーツが壊れても、修理して乗り続けられる。それは、カーボンやアルミフレームには真似できない、クロモリだけの特権です。
「このチャリはな、ワシが死ぬまで乗るつもりやで。」
親父がそう言って、少しだけ遠くを見つめていました。その言葉を聞いて、僕は、この「Steel Era」が、これから何十年も、親父の人生の傍に寄り添い、たくさんの思い出を紡いでいくんだ、と想像しました。
クロモリの「重み」が教えてくれた、モノの価値
クロモリフレームの最大のデメリットとして、「重い」という点が挙げられます。しかし、この「重さ」も、見方を変えれば、クロモリならではの魅力に繋がっていると僕は考えています。
親父は、僕のCrust Evasionに乗った時、「お前、こんな重たいチャリ乗っとるんか!ワシのんのほうが軽いわ!」と笑っていました。
でも、親父の「Steel Era」も、決して軽い自転車ではありません。アルミやカーボンフレームの自転車に比べれば、ずっしりとした重みがあります。
この「重み」が、親父に安心感を与えてくれているのかもしれません。
僕もそうですが、クロモリに乗っていると、不思議と急いで走ろうという気持ちが薄れていきます。そのずっしりとした重みが、僕たちに**「地面に足を付けて走る」**という、地に足の着いた自転車の喜びを教えてくれます。
軽さだけが正義じゃない。この「重み」が、僕たちに**「モノとしての存在感」**を与えてくれます。街中に駐輪されているクロモリの自転車は、周囲の自転車とは一線を画す、独特のオーラを放っています。それは、まるで、何十年も前からそこに存在していたかのような、歴史の重みを感じさせる存在感です。
親父が「Steel Era」に乗る姿は、まるで、昔の映画に出てくる紳士のようです。重厚で、品があって、そして、どこか懐かしい。この「重み」が、親父の人生を、より豊かで穏やかなものにしてくれているのかもしれません。
「Steel Era」が教えてくれた、僕のクロモリ愛の原点
親父が「Steel Era」を手に入れてから、僕は、僕がクロモリ自転車に惹かれる理由を、もう一度深く考えるようになりました。
僕が初めてクロモリ自転車に乗ったのは、もう10年以上前のことです。その時感じた、「しなやかな乗り心地」や「普遍的な美しさ」に、僕は一瞬で心を奪われました。でも、それだけじゃなかった。
僕がクロモリに惹かれたのは、もしかしたら、僕が子供の頃から見てきた、親父の背中が影響しているのかもしれません。
親父は、いつも同じ革の財布を大切に使い続けていました。使い込まれて、少しテカテカになった財布は、親父の人生そのもののようでした。そして、いつも同じ時計を修理しながら使い続けていました。その時計は、親父が若い頃に買ったもので、僕が生まれた時も、きっとその時計をしていたはずです。
「ええもんは、長く使えるんや。そしてな、長く使えば使うほど、味が出てくるもんや。」
親父が昔、僕に言ってくれた言葉です。
クロモリ自転車は、まさにその言葉を体現したような存在です。頑丈で、修理可能で、そして、経年変化によって、さらに魅力を増していく。
僕がクロモリに惹かれるのは、親父から受け継いだ、「モノを愛でる心」、「モノを大切に使う心」、そして、**「人生を共に歩んでくれるモノへの敬意」**だったのかもしれません。
親父が「Steel Era」を手に入れたことは、僕にとって、僕自身のクロモリ愛の原点を再発見する、最高のきっかけになりました。
終わりのないクロモリの旅:親父と僕の物語
ここまで、親父の「Steel Era」を通じて、僕がクロモリ自転車に感じる深い魅力について、語ってきました。
クロモリ自転車は、単なる乗り物ではありません。それは、僕たちの人生に寄り添い、共に物語を紡いでくれる、最高の相棒です。
軽さや速さを追求するだけではなく、もっと本質的な「モノ」としての魅力を大切にする。それが、クロモリ自転車が持つ、本当の価値なんだと思います。
僕の自転車ライフは、これからもずっとクロモリと共に続いていくでしょう。そして、その旅には、親父の「Steel Era」も、いつも僕たちの傍にいてくれるはずです。
錆びていくフレームを愛でながら、新しいパーツを組み込みながら、親父と僕の人生の物語を、一緒に紡いでいってくれるはずです。
このブログを読んで、少しでもクロモリ自転車の魅力が伝わっていたら嬉しいです。そして、もしあなたが、まだクロモリ自転車に乗ったことがないなら、ぜひ一度、その独特の乗り心地と、奥深い世界を体験してみてください。
きっと、あなたの人生も、少しだけ豊かになるはずです。
自転車の先に広がる、僕たちの新しい世界
親父が「Steel Era」に乗るようになってから、僕たちの世界は、少しずつ広がっていきました。
以前は、僕が一人で走っていたサイクリングロードも、今では親父と二人で走るようになりました。僕が知らない、親父が昔走っていた道や、親父が若い頃によく行っていた場所を、自転車で巡るようになりました。
「ここの喫茶店はな、昔から変わらへんのや。若い頃、よく通ってたんや。」
親父はそう言って、少しだけ懐かしそうな顔をして、僕に昔の思い出を語ってくれました。親父の人生の物語を、自転車に乗りながら聞く。そんな時間が、僕にとって何よりも新鮮で、そして、かけがえのない時間になりました。
クロモリ自転車は、僕たちを、新しい場所へ連れて行ってくれます。それは、物理的な場所だけではありません。それは、僕たちの心の奥底に眠っていた、懐かしい思い出や、新しい発見へと、僕たちを連れて行ってくれます。
自転車に乗ることで、僕と親父は、単なる親子という関係を超えて、同じ趣味を持つ「最高の相棒」になりました。それは、僕にとって、何よりも嬉しいことです。
「Steel Era」という、新しい時代の始まり
「Steel Era」。この自転車の名前は、親父にとって、そして僕にとって、新しい時代の始まりを意味しているのかもしれません。
それは、ただの自転車の時代ではありません。それは、親父が、僕が、そして僕たちクロモリ好きが、**「モノを大切にし、人生を豊かにする」**という、新しい価値観で生きる時代の始まりです。
カーボンやアルミの時代は、きっとこれからも続いていくでしょう。でも、僕たちの心の中では、これからもずっと、「鉄の時代」が続いていくはずです。
この「Steel Era」は、そんな僕たちの心の中で、永遠に輝き続ける、特別な存在になるでしょう。
僕もいつか、親父が「Steel Era」に乗るように、孫と一緒に、クロモリ自転車に乗る日が来るのかもしれません。そして、その時に、僕が親父から受け継いだ「モノを愛でる心」を、次の世代へと繋いでいくことができたら、これほど嬉しいことはありません。
最後に、クロモリの持つ「温かさ」について。
ここまで、クロモリ自転車の持つ「強さ」「ロマン」「ヤレ感」といった、様々な魅力について語ってきました。
しかし、クロモリが持つ最大の魅力は、その全てを包み込む**「温かさ」**なのではないか、と僕は思うんです。
それは、冷たい金属である「鉄」が持つ、不思議な温かさです。
親父の「Steel Era」を初めて見た時、僕は、そこに冷たい金属ではなく、まるで、温かい木材のような、優しいぬくもりを感じました。
それは、職人さんの手仕事によって作られた、フレームの持つ温かさかもしれません。
それは、親父がこの自転車に乗って、これから紡いでいく、たくさんの思い出の温かさかもしれません。
それは、僕と親父の間に生まれた、新しい絆の温かさかもしれません。
クロモリ自転車は、単なる道具ではありません。それは、僕たちの人生に寄り添い、温かい思い出を紡いでくれる、最高のパートナーです。そして、その温かさは、これからもずっと、僕たちの心の中で、輝き続けていくでしょう。
「Steel Era」と共に歩む、親父の新しい人生
親父が「Steel Era」を手に入れたことは、親父の人生にとって、大きな変化をもたらしました。
定年退職後、少しだけ時間を持て余していた親父は、再び自転車という趣味に情熱を燃やし始めました。
毎朝、新しい自転車をピカピカに磨き、近所のパン屋さんまで買いに出かける。週末には、僕と二人で、少し遠くまでサイクリングに出かける。
「Steel Era」は、親父に、新しい生きがいを与えてくれました。それは、単なる趣味ではありません。それは、親父の人生に、再び輝きを取り戻してくれる、特別な存在です。
親父が「Steel Era」に乗って、新しい人生を歩み始めたこと。それは、僕にとって、何よりも嬉しいことです。
僕も、いつか親父のように、年齢を重ねても、自分の好きなことに情熱を燃やし続けることができる、そんな大人になりたいと思います。そして、その傍らには、いつまでも、クロモリ自転車という最高の相棒がいてくれることを、願っています。
親父の「Steel Era」、僕の「Crust Evasion」、そしてクロモリの未来
親父が「Steel Era」という、クラシックなスタイルを選んだこと。僕が「Crust Evasion」という、タフでワイルドなスタイルを選んだこと。
これは、偶然ではないのかもしれません。
それぞれの生き方や価値観が、乗る自転車に反映されている。そんな気がします。
親父は、人生の集大成として、これまでの経験と知恵が詰まった「Steel Era」を選んだ。僕は、これからたくさんの冒険を経験していくために、どんな道でも走破できる「Crust Evasion」を選んだ。
どちらの選択も、クロモリ自転車の持つ、無限の可能性を物語っています。
「好いたのに乗ったらええ。鉄やったら大体のこと大丈夫やから。」
以前、親父がそんなことを言っていました。その言葉が、今になって、深く心に響きます。
僕たちはこれからも、それぞれの鉄のチャリに乗って、それぞれの人生を、力強く、そして穏やかに、走り続けていくのでしょう。
自転車って、本当にいいものですね。
それではまた、次の記事でお会いしましょう!ヒロヤスでした!